生きづらい人に読んでほしい本『消えたい-虐待された人の生き方から知る心の幸せ』

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こんにちは、主婦ブロガーmyme(マイミー)@mymeblogです。

本記事では書籍『消えたい-虐待された人の生き方から知る心の幸せ』を紹介していきます。

「消えたい…」

タイトルからなんだかヘビーな内容の本だと予想がつきますね。

この本は、精神科医である著者の高橋先生自身が開業している精神科クリニックの患者への診療を通して明らかになった、虐待された人(被虐者)の心理を紹介する内容となっています。


本のタイトルから、「虐待された人向けかな?」と思いがちですが、ぜひ「なんとなく生きづらい人」という人にも手に取ってもらいたい1冊となっています。

本を手にとったきっかけ

この本は、2012年頃に起きた「黒子のバスケ脅迫事件」の犯人が意見陳述の内容に本書を取り上げたことで注目されました。

今回私が本を手に取った経緯も、先日偶然犯人の意見陳述に関するツイートが目に留まったからでした。
犯罪そのものは絶対に肯定できませんが、犯人の意見陳述の内容がどうしても気になり深く知りたくなったのです。

自分の存在を疑ったことはありますか?

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本書では虐待された人を「異邦人」と表現しています。
異邦人は多くの人が住んでいる「普通の世界」とは全く異なる「辺縁の世界」に住んでいます。

異邦人は「死にたい」と思った時には、「消えたい」と言うらしい。
「死にたい」は自分が「生きたい、生きている」前提に使う表現だが、「消えたい」は「生きたい、生きている」と一度も思ったことがない人が使う、と。

異邦人は自分が存在していると思ったことがない、自我同一性が確立されていない、自分で自分がわからず、生きている実感がない。

私は虐待された人ではないけれど、「自分で自分がわからない」という感覚はとてもわかる…とその後も読み進めました。

自分の存在を保証された「社会的存在」になるために

人が自分の存在を認識できるのは、例えば、自分は誰かの妻・夫であり、娘・息子であり、学校の生徒やどこかの会社の従業員であったり、何かのクラブの会員であったりという社会的なつながりがあるからだ…と。

そして社会的つながりがある人のことを「社会的存在」という。
多くの人は社会的存在です。

社会的存在になるためには、周囲との「感情」と「規範(ルール)」の共有が不可欠であり、それらの共有により人は「安心」を手にして人とのつながりができる…と。

「感情と規範の共有」に決定的な役割をはたすのが「母子の愛着関係」…だと。

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例えば幼い子が誤ってコップを落として割ってしまったとします。
母親は「大丈夫だった?怖かったね、どこか痛くない?」と声をかけます。
そこで幼い子はコップを割ると「怖い」「痛い」といった感情が起こることを理解します。
さらに母親は「コップを持つ時は危ないから気をつけようね。」という規範を教えます。
「怖い」「痛い」「危ない」から「気をつける」という、感情の共有→規範の共有の流れができあがります。
幼い子はコップを割ってしまった時の感情を母親と共有することで安心を得、また「危ないから気をつける」という規範を身につけることで安心してコップを持つことができます。

感情や規範はやがて幼稚園や学校に出た時に、周りの同級生と、例えば「楽しい」「嬉しい」から「一緒に遊ぼう」、「痛い」から「友達を叩くのはいけない」などの行動につながります。

やがて思春期になり、今度は親から教わった感情や規範がはたして正しかったのか、自分が望んでいることなのかを考える機会が訪れます。
反抗期です。
そこで自分自身の価値観が生まれ、自我同一性が確立されて初めて「社会的存在」になります。

この一連の流れを経験できなかった人は、たとえ表面的に社会で役割があったとしても、「自分とは何なんだろう」「自分で自分が分からない」という、自分の存在を疑うことがやめられません。

振り返ると、私にはいわゆる「反抗期」がありませんでした。
「自分で自分がわからない」という感情もすごくわかる…。

でも、私は例えば「殴る」「蹴る」や「暴言を吐かれる」といったわかりやすい虐待をされたわけではないし、ごく普通に育ててもらったと思います。

ですが、さらに読み進めると、今まで見えていなかったことが明らかになりました。

「わかりやすい虐待」だけが「虐待」ではない

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本の中では、虐待の種類とその内容が事例と共に詳しく説明されています。

虐待の種類だけ抜粋すると、以下の通りです。

虐待の分類
  1. 身体的虐待…殴る・蹴るなどの身体への虐待
  2. ネグレクト…養育放棄。ご飯を与えない、部屋の掃除をしないetc
  3. 心理的虐待...子供が傷つくような暴言を吐く
  4. 性的虐待…子供を性的な目で見る・行為を強要する
  5. 心理的ネグレクト…愛着関係の不成立

1~4の虐待は、児童虐待防止法で分類されているもので、パッと見ても想像がつくかと思います。

5の心理的ネグレクトは、著者の高橋先生が独自で追加している分類だそう。

ネグレクトと心理的ネグレクトの違いは、ネグレクトが「熱がある子どもを病院に連れて行かない」に対して、心理的ネグレクトは「病院には連れていくけれど心配をしない、大丈夫?等の声かけがない」こと。

先ほどのコップを割ってしまった幼い子の例を心理的ネグレクトの状態で当てはめると、「母親(または養育者)は幼い子が割ったコップを片付けるが、大丈夫?などの声かけがない」、そして、「割れ物だからコップには触らないで」等の規範を教えます。

幼い子はコップを割ってしまった時の恐怖感を母親と共有できず、さらに「コップは割れるから触るな」という規範を押し付けられます。
恐怖感と「コップを触ってはいけない」はつながりを持たず、「母親に叱られるからコップには触っていけない、決して割ってはいけない」という義務感による規範の順守が生まれます。
もちろん安心感など生まれません。

心理的ネグレクトの状態では、母親は子どもの感情に関心がないので、たとえご飯を与えていても、「美味しい?」と聞くことはないし、子どもは自分の好きな食べ物を聞かれても「わからない」と答えるという。

当然学校でも「何が好き?」と聞かれても言葉に詰まり、周囲から浮いた「少し変わっている子」という存在になりやすいらしい。

心理的ネグレクトを受けた人は、社会に出ても「自分の意見が言えない」傾向が強く、人間関係でトラブルを招きやすいそうです。

自身の育った環境を振り返る

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私は子どもの頃から「少し変わっている子」と言われることが多かったです。
そして自分の意見を言うことも苦手。
学校では気の合う子を見つけて友人(数は少なめ)を作ることはできましたが、社会に出てからは「お局さん」キャラの上司の標的になっていました。

それでも人に相談をして感情を共有することはせず、ただ「嫌われないように周りに合わせる」「怒られないようにちゃんとする」…を繰り返していたような…。

本の事例のようにハッキリと「うつ病」などの症状が出たことはないけれど、「なんとなく生きづらい」は大人になってから多々感じていました。
小さなことで思い悩むこともしばしば…。


振り返ってみると、私は学校で嫌なことがあった時に親に一切相談をしない子でした。
なぜか執拗に「心配をかけてはいけない」「我慢すべきだ」という思考になっていたと思います。

一度だけ、幼稚園の時に体の大きいクラスメイトに突き飛ばされて転んだ時に、母親に言いつけたことがありました。

5歳くらいの話なので記憶は飛び飛びなのですが、結果的に母親と幼稚園に行き、そのクラスメイトが私に謝ってくれました。

ですが、母親から「大丈夫だった?痛かったね?」などど心配をしてもらった記憶が一切ないのです。
代わりになんとなくバツが悪い気持ちを抱いたような記憶はあります。

さすがに5歳の子に「心配をかけるな」などと言う母親ではありませんが、おそらく、母親に相談をしても「心配をしてもらえない」と悟ったのでしょうか…。

母親に幼稚園や学校で起きた嫌だったことを報告したのは、その時の記憶しかありません。
小学校の時に乱暴な男の子に叩かれたことも、意地悪な女の子にランドセルを隠されたことも、何も話していません。

 

母親は基本的には優しい人です。
家事もしっかりしていたし、面倒もよく見てくれました。

ですが、「感情を共有する」という面は少し欠けていたのだと思います。

 

実は先ほどの「コップのエピソード」は私自身の話です。

子どもの頃にコップを割ってしまうと「大丈夫?」はなく、「危ないからそっちいってて。片付けるから…!」というような感じ。
私は決まって「ごめんなさい…」としょんぼりする。

結婚をしてからコップを割ってしまった時に、夫から真っ先に「大丈夫?ケガない?」と言われた時は、一瞬立ち止まってビックリしてしまいました。

その時は夫はなんて優しい人だと思っただけだったのですが、本を読み終えた今、おそらく夫は感情の共有→規範の共有ができている環境で育ったのだと予想がつきます。
夫の家族や親戚を見る限り、そうだと確信できます。

社会に出てからある先輩に「感情を出さなさ過ぎて、何を考えているのかわからない」「見てて不安になる、心配」と言われたことがあります。
その先輩はとても面倒見が良い人で、「あなたが思っていることを言わないことで、仕事にも支障が出るし、なによりあなた自身も損するよ?大変じゃない?」と親身になってアドバイスをくれました。(ハッキリものをいう人で当時は怖かったのですが、今思うとここまで言ってくれる人はなかなかいません)

当時私はただの引っ込み思案、控えめな性格だと思っていました。
本を読んでからは、自分は「感情を共有する」ことに慣れていなくて「わからなかったんだな」と納得ができます。


大人になった今でも、母親には自分の感情を見せることは苦手です。
母親からはよく「我慢強い」「冷静」だと言われて育ちました。

本当は全然違います。
よくテンパるし、少しのことで落ち込み、感情の上下が激しい方だと思います。
夫には(よく言って)感情豊かと言われます。

この本を読むことで、私は自分の育った環境を改めて振り返る機会を作ることができました。
きっと私は、「心理的ネグレクト」とまではいかないまでも、幼少期~学童期に母親との感情の共有がうまくできない環境で育ったのだと思います。
父親は母親に育児をまかせっきりだったので、母親も大変だったとは思います。
が、幼い子が感情を共有してもらえないのは、子どもには何の落ち度もないと思うのです。

もちろん母親と話して笑ったり、時には怒ったり、泣いたりと、感情を出す機会はありました。
しかしなぜか「困ったことがあった時に相談する」「弱音を吐く」といった感情の共有が極端に苦手でした。
嫌なことがあってもぐっとこらえて、とりあえず周りに合わせたり、叱られたくないから頑張ったり…結果的に「生きづらい」「自分で自分が分からない」大人になってしまったのだと思います。

この本を読む以前は、「なんで自分はこんな性格なのだろう」「なぜ思ったことが言えないのだろう」→「こんな自分が嫌い」という負のループに陥ることが多々ありました。

ですが、物事にはやはり原因があるものですね。
幼少期の感情の共有不足が関わっていると知り(本を元にした自己分析ですが)、なんだか心がスッキリとしました。(今まではただ自分を責めて自己嫌悪に陥っていたので)

 『消えたい-虐待された人の生き方から知る心の幸せ』まとめ

虐待された人、虐待されたわけではないけれど親子関係で悩んでいる人、親子関係は良かったはずなのに大人になって「なんとなく生きづらい」と感じている人にぜひ読んでほしい1冊です。

親子関係の本(例えば「毒親」や「アダルトチルドレン」関連の本など)は何冊か手に取り読んだことがありますが、なぜかどれも抽象的で「これじゃない感」がありました。

この本は「生きづらい」人が抱える原因をじっくりと掘り下げ、論理的に分析していく過程が丁寧に書かれているので、非常に納得がいく内容ばかりでした。


生きづらいと感じる人、その原因がわからず自分を責めてしまう人、様々な悩める人に薦めたい1冊です。